研究会

       

 

2011年2月13日(日)
海南島近現代史研究会 第7回定例研究集会を開きました。
ご参加、ご協力どうもありがとうございました。

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海南島近現代史研究会第7回定例研究集会報告

 きょう(2月13日)、主題を「海南島とパレスチナ」とする定例研究集会を開催しました。

 はじめに足立正生さんとオマイヤ・アブードさんから報告を聞きました。

 足立正生さんは「パレスチナの参戦経験」と題して、冒頭で自らのパレスチナ体験と海南島近現代史研究会の活動との重なり合いをつぎのようなかたちで語りました。

 日本軍による海南島での米やアヘンの略奪、住民の虐殺は、イスラエルによるパレスチナへの侵攻と重なりあっている、民衆のゲリラ戦は負けないし権力はこの戦いを制圧しきれない、海南島の抗日闘争が持続的に戦われて最後に勝利したように、ゲリラ戦は負けることはない、自分は権力が映像をキャンペーンの手段として使ってものを民衆の抵抗の手段にしようとして映画監督になったが、海南島近現代史研究会の皆さんが同じようにして、映像を民衆のための武器として生かそうとしている姿勢に共感する、と。

 足立さんがもっとも強調したのは、イスラエルとパレスチナの問題は、複雑な宗教問題や歴史問題が絡んでいるという人がいるが、実はそういう問題ではなく、イスラエルが「人無き土地に土地無き人を」という神話で土地を軍事占領したこと、そのためにパレスチナの民衆の抵抗運動がある、という端的な事実なのだ、ということでした。

 パレスチナの民衆のゲリラは難民となって周辺や世界に広がっているが、かれらは民族意識を継承して、その戦いを持続させている。イスラエルは巨大な資本を掌握してテレビや映画などのメディアを支配し、問題を隠蔽するキャンペーンを張り巡らしている。同じようにして海南島でも日本軍と日本の社会が問題の本質を押し隠した、と熱く語りました。

 オマイヤ・アブードさんは、海南島の民衆と同じように自分が家族を殺され、生活を奪われた体験を語ってくれました。

 オマイヤさんは1982年〜1985年にレバノン南部でイスラエル軍の軍事侵攻を受け、占領される中で送った生活について語りました。3か月間も電気、水道などライフラインなしの生活が続いたこと、外出禁止令が出され、外部との連絡も断たれたこと、理由無く無差別に逮捕され銃撃されたこと、また家族と地下壕に逃げ、空爆を受けた恐怖の体験を語りました。交通は遮断され、電気も切られ、家から一歩でも出ると射撃される、また基地を作るために村人にとって大切なオリーブの木を切り倒し、農地が破壊された。

 さらにイスラエル軍がおこなった虐殺の実態についても語ってくれました。イスラエル軍は少年を車でひき殺し、そのまま行ってしまった。少年がクラスター爆弾で両足を切断され、その少年の叔父ものちにクラスター爆弾に触れて死亡したこと、さらにソフモル村やヨフモル村での集団虐殺について話してくれました。

 オマイヤさんは日本に来てからも、故郷の隣人が殺される夢を見たり、飛行機の音を聞くだけで自分の身が固まるという恐怖感が体から消えない、と訴えました。

最後に、オマイヤさんは「民衆の権利の力は、国家による力の権利にうちかつことができる」という言葉で自分の話しを結びました。パレスチナの民衆の不屈の精神を伝える力強い結論でした。

 質疑応答では、ホロコーストを経験したユダヤ人がなぜパレスチナの民衆を迫害するような行為をすることができるのか、という質問が出ましたが、この質問に対してつぎのような回答がありました。

 イスラエルはみずからの国家を建設するために世界の各地を探し回り、イスラエルを自分たちの土地と決めた。自分たちが占領した土地を犯すものは誰であろうと殺すという決断で行動している。だから、自分たちが虐殺に遭ったという記憶は、他者を迫害しないという方向に向かうのではなく、むしろそれをじぶんたちの虐殺行為を正当化する理由にしている、さらに欧米諸国がイスラエルを「野蛮」から西欧文明を守る拠点として支えている、ということも指摘されました。とくに米国の武器や爆弾が大量に、無償でイスラエルの手に渡り、それらがまるで実験のようにしてイスラエルによって使用されている、と語りました。

 休憩を挟んで、次の報告に入る前に、海南島から日本に留学し、私たちの会との交流を続けている鐘翠雅さんと楊得州さんから、自分たちと海南島近現代史研究会とのかかわりを中心にしたアピールを受けました。

 続いて、研究会の三人の会員から、海南島に関する三つの研究報告を受けました。

 竹本昇さんは「マスメディアは海南島をいかに報道したか」のシリーズ5回目の報告で、今回は『文芸春秋』、陸海軍将校婦人会発行の『みさを』、朝日新聞社の『朝日年鑑』、愛国婦人会の『愛国婦人』をとりあげ、当時の日本社会のメディアが海南島をどのように見ていたのかについてリアルな像を提供してくれました。たとえば『文芸春秋』では、日本軍の部隊長が海南島の先住民族の苗族を集めて、聴き取りする様子が報告されていますが、先住民を「蕃族」、つまり「野蛮な民族」と呼び、その態度の「異様さ」を際立たせる表現に満ちていることが指摘されました。  続いて、久保井規夫さんが「海南島占領支配の実相 司令部派遣将校報告の分析」と題して、陸軍の調査官による広東市および海南島の軍事占領後の状況について記された「南支出張報告書」について報告をおこないました。治安維持会の設立、その財政的基盤を築くためのアヘンの専売化、経済的略奪と軍票のおしつけ、海南島の鉱山開発など、当時の日本軍の侵略の実態が浮き彫りにされました。

 最後に、糟谷尚子さんが「祖父が海南島で何をしたのか」についての報告がありました。糟谷さんは自分の祖父が1940年2月から1941年11月まで海南島の第15警備隊に所属していた時期に、海南島で行われた軍事作戦や住民虐殺の年表を作成して、祖父の足跡をたどり、祖父が残した自分の履歴書や写真を紹介してくれました。

 報告が済んだ後で、会場の参加者の個人的な発言を受けましたが、今回はパレスチナの報告を聴こうとする参加者が多かったこともあり、今までの研究会とは違った層の参加者が見受けられました。また今日の報告会を現在の日本の政治の閉塞状況とかかわらせて考え、ポピュリズム志向の動向が強まっている状況をどのように打開したらよいかという問いかけがなされました。また教育やマスコミの役割の重要性について指摘する意見もありました。

 最後に、会のほうから2月末から海南島の現地調査にでかけること、海南島で私たちの会に呼応して共同調査に取り組もうとしている団体についての紹介がありました。

 2011年の海南島近現代史研究会の活動の新しいステップを築く有意義な研究会だったといえます。

斉藤日出治
   
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