研究会

       

 

2015年8月23日(日)
海南島近現代史研究会 第9回総会・第16回定例研究集会を開きました。
ご参加、ご協力どうもありがとうございました。

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海南島近現代史研究会第9回総会・第16回定例研究集会報告



■『真相 海南島近現代史研究会17年(27次)調査足跡』出版まで

 海南島近現代史研究会はその前史もふくめて17年間、日本が海南島の占領期(1939年2月〜1945年8月)に犯した犯罪(住民殺戮、性奴隷化、強制連行、労働強制、食糧・資源の略奪、村の破壊など)の実態を究明し、その責任の所在を明らかにするための活動に取り組んできました。
 これまで27回にわたって現地の海南島を訪問し、被害者とそのご家族、抗日戦士のかたがたから当時の話を聴かせていただきました。日本軍は「共産部落ハ之ヲ清掃ス」という方針のもと、海南島の各地の村を襲い、乳幼児、妊婦、高齢者、児童などの区別なく銃剣や銃弾で殺害し、住民を家に押し込めて焼き殺し、女性に乱暴して殺害しました。逃げのびた人びとは山中をさまよい、餓死や病死の苦難を強いられました。村の生活や人間関係は断ち切られ、村全体が消滅してしまったところもありました。日本軍は、兵舎、望楼、トンネルなどの軍用施設、軍用道路、飛行場などの建設に住民を駆りだし、そこでも「働かない」などと言っておおくの人を殺しました。また乏しい食事で体力の弱っている人が病死しました。鉱山労働では、コレラなどの疫病にかかった人が感染を恐れた日本軍によって生きたまま焼き殺されました。
 このようにして殺害された人、亡くなった人の氏名およびその数は、いまだに明らかにされていません。日本国家の犯罪行為が、その被害に対する責任追及や謝罪や損害賠償はおろか、事実の究明すらなされないままに今日まで放置されてきたのです。
 わたしたちはこの17年にその実態を明らかにするために、海南島を訪問し、被害者やその遺族の方々に出会い、殺された方の名前やそのときの状況についての聞き取りを進めてきました。

 昨年、海南島の南海出版公司が海南島近現代史研究会の海南島「現地調査」に注目し、若い編集者が昨年秋と今年春にわたしたちの「現地調査」の全日程に同行しました。
 昨年秋の共同行動のあと、南海出版公司からこれまでの会の活動の軌跡を出版したい、という提案を受けました。
 海南島近現代史研究会が、これまでの活動の資料や会誌、会報、写真集、ドキュメンタリーなどを提供し、南海出版公司編写組がそれをもとに編集をして、わずか半年という短期間で出版されました。書名は、『真相 海南島近現代史研究会17年(27次)調査足跡迹』です(同書の目次は、こちらをみてください)。


■8月23日の集会

 南海出版公司から編集担当者をはじめとする15人のメンバーが、その新刊書を携えて来日し、きょう(8月23日)開催された海南島近現代史研究会第9回総会・第16回定例研究会総会(主題:「17年間の海南島「現地調査」で明らかになったこと」)に参加しました。

 はじめに会の佐藤正人さんが主題報告を行いました。そこで佐藤さんはつぎのように話しました。
(佐藤さんの報告要旨は、こちら をみてください)

「わたしたちが海南島で聞き取りをするときの最大の問題は、現地の言葉(黎語、苗語、海南語、臨高語……)をほとんどわからないことだ。しかし、海南語にかんしては、この問題を乗り越える大きな出会いがあった。海南島で会の活動を深く理解して通訳を引き受けてくれるふたりの協力者と偶然に出会った。
証言者は、日本から来た質問者にたいしてというよりも、海南島人である通訳者に向かって語る。それが聞き取りの内容を深いものにする。
海南島で日本軍・日本企業が殺害した人の名を確かめることは、基本的な課題である。海南島には、日本軍に殺害された犠牲者の名を刻んだ碑があるが、多くはない。しかも、これらの碑はそれぞれの村人が建立した碑で、政府機関が犠牲者の名を調査し、その名を刻んだ碑を建立していない。
犠牲者、遺族、目撃者が高齢となっているいま、聞きとりを組織的に急いで進め記録しなければならない。この17年間のあいだに出会った多くの人が亡くなり、聞き取りの機会がますます失われ、聞き取りが困難になっている。
聞き取りをしていると、村の人から“なぜ、何のために聞き取りをするのか”、と聞かれる。事実を明らかにして、日本政府に責任をとらせるためだ、と答えるが、それがなかなか進まない。
海南島における日本の侵略犯罪は、19世紀後半にアイヌモシリ、琉球を植民地とした日本国家の他地域他国侵略史のなかで解明すべきである。その侵略史は、1945年に終わっていない。20世紀末の1999年の国旗国歌法、周辺事態法などを契機として、現在、新たな日本国家の侵略の時代が始まりつつある。
海南島で刊行された『真相』は、中国の政府機関によって「抗日戦争勝利・反ファシスト戦争勝利70周年重点図書」に指定されている。中国人にとっては、2015年は抗日戦争勝利70周年であろうが、日本人にとっては、日本の他地域他国侵略阻止70周年ではない。1945年の70年後、日本国家は、他地域他国軍事侵略の政治・軍事・文化的体制の再編成をすすめている。
そのような日本国家に抗して、日本民衆がさらなる抗日闘争を強めていくことによって、日本民衆はアジアの民衆との連帯が可能になるのではないか。海南島での聞き取りと責任追及の活動は、そのような抗日闘争の一環である」。

 つぎに、2010年からともに「現地調査」をつづけてきた海南島人の?越(シン ユエ)さんがつぎのような報告をしました。
(?越さんの報告要旨は、こちらをみてください)

「日本による海南島での大虐殺はさまざまなかたちで行われた。村を飛行機で爆撃し、その後村を襲撃して、住民を無差別に殺害した。山に逃げた人は食糧がなくて餓死したり、マラリアなどの流行病にかかって病死した。とくに高齢者や乳幼児は病気の抵抗力がなくて死んでしまう。鉱山労働や道路建設に駆りだされた人は殴られたり銃で撃たれたり銃剣で刺されて死んだ。
日本軍の工事のために海南島だけでなく、広東省、香港、台湾、朝鮮の各地から多くの人が連行され、病気や飢餓や虐待で亡くなったが、これらの人の遺体は捨てられ、いまだに遺骨の所在も死者の数も分からないままである。当時の海南島の200万人の人口のうち20万人が亡くなったと思われる。これは海南島のこれまでの歴史のなかで、もっとも死者の多かった時期だと言える。
ところが、これほどの重大犯罪が、様々な理由で隠蔽され、その痕跡が見えないようにされている。その理由のひとつは、1945年に日本軍が撤退した後、共産党と国民党の内戦のために社会が混乱に陥り、日本の侵略犯罪を調査する機会が奪われたことである、さらに、共産党政権樹立後、文化大革命の混乱、さらにそれに続く開放経済体制下の開発政策が進められる中で、侵略犯罪の証拠となるさまざまな遺跡がきちんと保存されることなく破壊されてしまった。日本軍が作った鉄橋の脚は砂が崩れて崩壊し、八所の港湾建設でおびただしい数の犠牲者が出た場所に建立された記念碑は、不動産開発のために破壊された。監獄などの遺跡は場所を移動させられた。目に見える遺跡が少なくなった時、この重大な犯罪の事実を子どもたちに伝えるのは困難になる。
しかし、日本の犯した犯罪行為を完全に隠しきることはできない。各地の村には村人が犠牲者の名前を刻んだ追悼碑が建立されている。そして新たに犠牲者の数を調べ、記念碑を作ろうとする動きが出ている。月塘村、旦場村、石馬村などで犠牲者の名前を刻んだ追悼碑が建てられ、あるいは建てられようとしている。自分たちの辛くて悲しい体験を長歌にして記録し伝える村もある。辛い記憶をかたちにする運動を通して、日本の侵略犯罪が顕わになってくる」。

 続いて、南海出版公司編写組から張媛(チャン ユアン)さん、何怡欣(ホ イシン)さん、呉雪(ウ シュエ)さんが報告し、そのなかで次のように話しました。

「昨年秋と今年春、「現地調査」に参加する中で、日本の海南島侵略の歴史をさらに追及しようと考えるようになった。
研究会の二回の調査活動に参加する中で、南海出版公司編写組が、撮った写真は3000枚、撮影した時間は100時間、記録した文字数は2万字を越えた。過去の歴史の真相を明らかにする仕事の大切さと同時に、この作業の難しさも感じた。
戦争の経験のない者が、現地での聞き取りの活動に参加して、日本軍のやったことを具体的に聞き取りを通してこの目と耳で確認したとき、はじめて日本軍が何をしたのかを理解することができた。この本は研究会の活動を広く知らせ、多くの人に勇気を与えてくれる」。

 3人の報告要旨は、こちらをみてください。


■全体討論

 主題報告の後で、会場の参加者から発言を受けました。
 参加者の皆さんは、それぞれが主体的にさまざまな社会運動や研究活動に取り組んでいて、自分の運動や研究とのかかわりでの発言が目立ちました。

 現在争点となっている戦争法案反対の運動に取り組んでいる人は、

「現在が戦争体制に入りつつあるときに、かつての戦争で何があったのかを知って、過去に対する責任を持つことが大切だ。その歴史をしっかりと知ることを通して、南海出版社の皆さんとこのようなかたちで、民衆レベルでつながることの大切さを感じる」

と話しました。

 奈良で脱原発の運動に取り組んでいる女性は、

「安倍首相の談話は日本の将来世代の歴史的責任をうやむやにしようとしているが、歴史をきちんと見据える必要がある。その意味でこの集会の意義は大きい」

と話しました。

 日本軍の性奴隷制の問題に取り組んでいると自己紹介した参加者からは、

「海南島の虐殺についてはまったく知らなかった。短期間で研究会の活動を本にまとめた南海出版会社の若い編集委員のエネルギーに感動した。このエネルギーを、戦争を止める力にしたい」

という発言をうけました。

 パレスチナでオリーブの植樹の支援運動をしている参加者は、

「研究会の活動を本にしていただいたことに対して南海出版会社に感謝したい。今日このような集会で、日本の侵略について出版社の皆さんとともに考えることができてうれしい。
死者の名前を明らかにすることは侵略責任を果たす重要な作業で、今後とも南海出版社と共に持続的な協力体制をとっていきたい。そしてそれが日本の戦争を阻止する力になればよいと思う」

と話しました。

 アイヌ民族と連帯する会の方からは、アイヌ民族の遺骨の返還を北大や京大に要求している運動と海南島との関わりについて、つぎのような発言がありました。

「戦前に日本の人類学者は軍隊の侵略に先立って、研究という名目でアジアの他地域に侵入し遺骨を盗掘したり調査を行っていて、琉球民族の遺骨の発掘、台湾の‘霧社事件’のときに犠牲になった先住民の遺骨の発掘などを進め、さらに海南島でも黎族などの先住民の遺骨の発掘や名前の調査や体力調査を実施して、日本軍の労働力として彼らを動員するための調査活動を進めた。海南島では金関丈夫という人類学者などが海軍に協力してこの調査を進めている。アイヌの遺骨については、京都大学に返還を求めて昨年話し合いをしようとしたが拒否された」。

 海南島の農業について研究している中国の留学生は、

「当時の海南島は農業の開発のために日本の技術が大きな役割を果たした。台湾総督府が日本の南進政策に基づいて台湾から軍人や警察官だけでなく、農業技術者も派遣し、海南島の農業開発に貢献した。住民虐殺は悪いことだが、同時に開発の側面もあることを見る必要がある」

と発言しました。

 また同じく海南島の近現代史研究に取り組んでいる海南島出身の留学生からは、

「日本の海南島における軍事占領を解明するためには、台湾に重要な資料があるのでそれを活用すべきではないか」

との意見が出されました。

「日本人は軍事占領で殺された犠牲者の視点から戦争に反対するのではなく、自分たちの利益だけを考え、日本人だけが平和であればよいと考えている。だから、自民党は倒れないし、戦争がもう一度行われることになる」

という、現在の戦争法案に反対する日本人の運動を海南島の住民虐殺の視点から批判する意見も出されました。
 海南島近現代史研究会の運動がさまざまな民衆運動とつながり、民衆運動のネットワークを強め、民衆の歴史認識を深めていく重要な意義を持っていることが、これらの発言に示されていると思いました。

 参加者全員での討論のあと、金靜美(キ? チョンミ)さんが、ことし春に、海南島の旦場村、旦場園村、英顕村、海頭鎮、松涛村、長田村、腰子村、大良田村、尖石村、南坤鎮、西昌鎮、大同村、龍門鎮、老王村、金牛流坑村、林村村、大府村、東郊鎮、上苑村、龍湖鎮、南福嶺村、南曲村、大水村、土卜嶺村、儒東村、純雅村、常樹村、長嶺村などを訪ねたときのことを、写真を上映しながらで報告しました。
 会場には、写真パネルを展示しました。
   海南島近現代史研究会第9回総会・第16回定例研究会で展示する写真パネル


斉藤日出治
   
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