研究会

       

 

2013年2月10日(日)
海南島近現代史研究会 第11回定例研究集会を開きました。
ご参加、ご協力どうもありがとうございました。

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海南島近現代史研究会第11回定例研究集会報告

きょう(2月10日)、74年まえ日本陸海軍が奇襲上陸し海南島侵略を開始した日、わたしたちは大阪で第11回目の研究会を開催しました。韓国釜山や東京など遠方からの参加者もあり充実した研究会になったように思います。

 今回の主題は「海南島と独島(竹島)」で、会場に、独島(「松島」)の位置を示す18世紀後半から1910年代までの地図(原本)が20点あまり展示されました。

 まず3人の主題報告が行われました。
 はじめに竹島=独島問題研究ネットの朴炳渉さんから「独島(竹島)の最新の歴史」と題して報告がありました。朴さんは、江戸幕府が独島をいずれの藩にも属さず、日本の領土ではない、として独島への渡海を禁止し、絵図でも現在の欝陵島と独島を朝鮮領として赤色をつけていたことを指摘し、1877年の太政官指令でも、独島を日本とは無関係なものと指令し、官撰地図、およびその他政府機関の資料でも独島を日本領とする公式資料はないことを指摘しました。日本政府が1905年までは独島を日本領とは一度もしたことはなかったことを実証しました。

 続いて、佐藤正人さんが「海南島と独島」と題して、独島問題は領有権問題ではなく、植民地問題であると述べました。国民国家日本はアイヌモシリ侵略いらいの他地域、他国を侵略する歴史のなかで独島を日ロ戦争のさなかの1905年に領土化し、現在もその歴史を継承している。独島を「日本固有の領土」と主張することは、そのような日本の侵略の歴史を肯定することである。かつて海南島の軍事占領が日本国民によって歓迎されたように、今日独島の領有権が日本ナショナリズムのもとに主張されている現実を国民国家日本の独島再占領を具体化する日本ナショナリズムの侵略に基づく歴史認識として批判的に位置づけるべきことを強調しました。

 続いて久保井規夫さんが「独島(竹島)問題の解明」と題して、日本政府の「竹島は歴史的にも国際法上も日本固有の領土」という主張がなりたたないことを実証し、そのなかで長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」(1779年初版)をはじめとする地図がいずれも、独島(当時は松島と呼んでいた)を朝鮮国の領土としていたことを明らかにしました。

 休憩をはさんで質疑応答が行われ、その後会場の参加者の自己紹介を兼ねて、一人一人の参加者から発言を受けました。
 会場の参加者のなかには、学校の教師として教育現場で歴史教育に携わっている方から学校では領土問題と天皇制はタブーのような社会的雰囲気があり、そのことに批判的に触れると「非国民」扱いされかねない雰囲気があること、育鵬社の歴史公民教科書のように「竹島は日本固有の領土」と明記した教科書を使いながら、生徒たちに歴史認識の視点から独島問題を教えることの困難さについての発言がありました。
 韓国の釜山から参加された歴史研究者から、強制連行の歴史、浮島丸事件の調査を続けてきたものとして、独島にかかわる歴史的事実を客観的な歴史認識の方法によって明確にしようとする本日の研究会にたいする共感のことばが寄せられました。
 パレスチナに連帯する運動に取り組んでいる参加者からは、独島を日本の領土拡張の流れの中に位置づける日本政府の思考を、イスラエルの入植者によるパレスチナの土地収奪と重ね合わせて捉える必要があるという指摘がありました。   「“竹島の日”を考え直す会」のひと、在日の運動や部落差別の運動に取り組んでいるひとなど、今日の社会が抱える問題に実践的に取り組んでいる方がたなどからの発言も寄せられました。独島にかかわる現在の日本政府や島根県などの動きが、社会に分断の仕切りを入れ、ひとびとを排外主義へと駆り立てていく動きとして了解されていく共通の土壌がこれらの発言の中に芽生えているのを感じました。

 後半の報告は、昨年(2012年)10月〜11月に行われた海南島現地訪問の報告が会員から行われました。はじめに斉藤日出治が海南島の地図で今回の旅程をたどりながら、日本軍に襲撃されて村民を殺害された各地の村で生存者からの当時の様子について聞き取りをした報告をおこないました。日本軍が村を襲い、村人を一か所に集めて銃殺、あるいは焼き殺し、家畜を奪い、生き残った村人を望楼や道路工事に駆りたて、さらには日本語学校を開設して日本語教育を押し付けようとした動きについて報告しました。

 続いて、キムチョンミさんが海南島西部の昌化江河口にある東方市四更鎮旦場村に訪問した時の報告を行いました。この村では1939年11月(農暦9月)に村人93人が殺害され、いま一人ひとりの名前を刻んだ追悼碑建立の準備を進めていること、「日寇惨殺旦場同胞 哀嘆長恨歌」という犠牲者を哀悼する長歌を歌ってくれたこと、旦場村委員会から「日本で開催される海南島近現代史研究会第11回例会で1939年9月23日(農暦)に日本侵略軍が無辜の村民93人を殺害した罪悪の歴史が天下に明らかにされる。日本政府は歴史を鑑とし、未来に向き合い、中日友好を発展させ、両国人民に幸福をもたらさなければならない。きょうの集会の成功を祝す」というメッセージが寄せられたことが報告されました。
 また、キム チョンミさんは、海南島の南部の「朝鮮村」で日本軍に殺害された朝鮮人が埋められている現場が高速道路建設によって破壊が進んでいる、遺骨や遺品を展示してあった展示場が荒れ放題で遺骨が何ものかに持ち去られている、遺骨が埋められている現場の半分が陶芸園の敷地になりあとはごみ捨て場のようになり雑草が生い茂る荒れ地になっている、という現状を報告しました。

 最後に、佐藤正人さんから今日の研究会の総括と、3月に行われる予定の第23回目の海南島訪問とこんごの海南島の人たちとの共同行動についての報告と提起があり、研究会を終えました。

 独島を「日本固有の領土」であると主張して国民を排外主義的ナショナリズムへと駆り立てていく動きに抗して、わたしたちが歴史の真実を明らかにすることを通して新たな連帯の歴史を築いていく、今日的で政治的な運動であることをあらためて実感した集会になったように感じました。

斉藤日出治

   
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