『週刊金曜日』2008年822日号

海南島の追悼碑建立に 日本の市民団体が協力

  一九四五年五月、日本軍に占領され、二〇〇人近い住民が日本兵によって無差別に殺された中国・海南島の(ユエ)(タン)村で今年四月、追悼碑が建立された。八月三日、市民団体「海南島近現代史研究会」第二回総会が大阪市内であり、会の佐藤正人さんが海南島での式の様子を報告した。

 

 佐藤さんによると、式には小学生も含む地元住民三五〇人が参加。「三・廿一惨案紀念碑」とされた追悼碑の左側面には、二歳から六七歳まで犠牲者・生存者一九〇人すべての年齢と名前が刻まれている。胎児を宿したまま殺された犠牲者は「一屍二命」と記された。

 

 また、碑右側面には日本政府への要求−−国際社会での公開の謝罪、生存者と遺族への賠償、追悼記念館の建設、焼失した家屋や強奪財産の弁償−−が刻まれている。この四項目は、日本での行動を呼びかけるように大阪の会場で改めて読み上げられた。

                 

同研究会は、三重・和歌山県境にある石原産業紀州鉱山での朝鮮人強制連行の調査を発端に、海南島での強制労働や住民虐殺を知った。九八年から一三回にわたり海南島を訪問、地元でしか語り伝えられていなかった虐殺事件を調査し、活字や映像を通して日本国内に伝えてきた。今回の追悼碑建立にあたっては、市民から基金を募り、集まった七二万円を提供した。

 

月塘村全村民から日本政府への要求書を託された佐藤さんは「海南島の民衆に朝鮮、日本の民衆が協力してできたこの碑を、日本政府が虐殺の事実を認め、謝罪し賠償する運動の拠点としたい」と話している。                                                      山本柚・ライター

 

 

 

 

 

追悼碑除幕の記念式典。(提供/海南島近現代史研究会)