住民虐殺、村落破壊、放火、暴行、略奪
1939年2月から1945年8月までの6年半に、日本占領下の海南島で、
日本軍が殺害した犠牲者の数も、名前も、ほとんどが明らかになっていない。
日本軍が海南島侵略当時に作製した文書『海南警備府戦時日誌』(月報)や『海南警備府戦闘詳報』には、
海南島で日本軍が殺害した「敵」の数が、毎月数百人と記述されている。
海南島各地で住民虐殺をおこなった日本兵は、日本にもどって、当時の残虐行為を隠したまま「平和」に生きつづけた。
地図上の地名をクリックすると説明表示(現在、重興鎮、秀田村 月塘村 南陽鎮 石馬村
黄竹鎮 九曲江郷
譚門鎮 東坡村 呉村 后石村 烏石 黎母山鎮 吊羅山郷 永興鎮 咸来鎮 上雲村 )