第13回・第26回海南島「現地調査」2014年10月28日〜11月12日



「幸存者」謝春梅さんとその家族
(文昌市抱羅?石馬村で。2014.10.29.)



黎文慶さん(81歳)
故郷は、双門敢村。
「日本軍は何回も何回も来た。
近所とか親戚とかを頼って隠れたが、
あなたたちがこっちに来たら
じぶんたちが危ないので、
出て行ってくれと言われ、
それで山のほうに隠れた」
(陵水黎族自治県隆広鎮新市坡で。
2014.11.4.)



月塘村の「幸存者」たちと家族。
左から、朱海運さん、
朱小平さん、朱西栄さん、
朱章雄さん、朱照武さん、
朱建華さん(2014.11.5.)



林鴻明さん(1925年生)
共産党の文昌抗日部隊が日本軍に
協力した「自衛隊」を襲撃した現場で。
林鴻明さんは地理や地形をよく知っているので、
道案内をした(東閣鎮渓西村で。2014.11.1.)



符和昌さん(1923年生)
2002年10月、2003年8月以来の再再会だった。
日本軍が村を襲撃してきたとき、
牛追いに行っていて生き残ることができた
(定安県大河村で。2014.11.5.)



李重光さんにはじめて会ったのは、2003年3月だった。
11月3日に再会して、また、排田村の碑に案内していただいた。
排田村が日本軍に襲われたとき、父母は末子のじぶんを連れて逃げ、
兄ふたりは殺された(文昌市排田村で。2014.11.3.)。



符祝霞さん(75歳)。
日本軍が村を襲ってきたときのことを唄で語ってくれた。
この唄は、父の兄の妻が、
日本軍が敗退して村を引き上げる列を見ながら自然に出てきたという。
符祝霞さんはそれをいつも聞いて覚えた
(文昌東閣?南文村で。2014.11.1.)



温天川さん(79歳)
4歳のとき、母を殺された
(沙土福留村で。2014.11.8.)



許聲誉さん((1931年生)
「人の首を切ったあと、町の木につるした。
わざと人に見せる。ときどき、町の市場に人を集めて、
日本軍に協力しない人を殺してそれを見せる。
穴のまわりに人をひざまづかせて首を切って、
穴に蹴り落とした。何回も見た」(定安県雷鳴鎮2014.11.6.)。



石馬村では、若い人たちが
日本軍によって犠牲になった人たちの名前の調査をはじめた。
後の木に、殺された村の人がつるされたという
(文昌市抱羅?石馬村で。2014.10.29.)



馮興義さん(1933年生)
兄の亜楽さんと、姉の玉英さんが殺された。
日本軍は命令したしごとが遅かったりすると、
指4本で牛のような格好をさせたという。
腹の下には剣が置かれた
(陵水黎族自治県英州鎮九尾村、旧、狗尾吊村で。2014.11.4.)



定安実験中学。
日本占領時代、敷地内には日本軍の病院があった。
定安の同仁会診療所で看護師をしていた渡辺はつの証言では、
定安の病院で、100人ほどの兵士が見守るなか、
軍医がふたりを生体解剖して内臓を取り出したという。
ひとりは「アイゴー、アイゴー」と叫びながら死んでいったという
(2014.11.6.)